カルメン・マキ

カルメン・マキ

カルメン・マキは神奈川県鎌倉市出身の歌手です。アイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と、日本人の母の間に生まれたハーフで、端正な顔立ちと力強い歌声で一世を風靡しました。62歳となった現在でもライブや映画への出演など精力的に活動しています。

来歴

1951年5月18日生まれ。1968年に私立香蘭女学校高等学校を2年次で中退し、劇団「天井桟敷」へと入団します。同年8月に新宿厚生年金開館で行われた舞台「書を捨てよ町へ出よう」で舞台デビューを果たします。この舞台が、CBSソニーの関係者の目に止まり、歌手として契約します。芸名の「カルメン・マキ」はこの時期に舞台の練習中にたまたま思いついたものだそうです。翌年の1969年「時には母のない子のように」で歌手デビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして哀愁のある歌いっぷりが話題を呼びました。この曲は、「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」という批判の声がありましたが、ミリオンセラーの大ヒットとなり、第20回NHK紅白歌合戦への出場も果たしました。これ以降も個性派歌手として活動し、6枚のシングルと3枚のアルバムをリリースし、「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」などのヒット曲がうまれました。

ロックへの転向

1970年に突如、ロックへの転向を表明します。きっかけはレコード大賞受賞のご褒美としてCBSソニー社長から貰ったレコードプレイヤーとLP盤でした。そのLPの1枚にジャニス・ジョップリンがあり、それを聴いて衝撃を受けたマキはロックに転向することを決めたのです。近田春夫、立川直樹らと「カルメン・マキ&タイムマシーン」というバンドを結成しますが、直ぐに解散します。様々なバンドがマキのバックにつきましたが、最終的には当時の実力派バンドであった、ギタリスト竹田和夫率いるブルース・クリエイションに落ち着き、1971年にコラボレーション・アルバムである「カルメン・マキ&ブルース・クリエイション」を発表します。これによりマキは黒人霊歌をもとにしたフォークを歌うシンガーから、女性ロッカーへとイメージ・チェンジしました。

OZの結成と解散

1972年には当時18歳であったギタリスト・春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成します。メンバーは他にベースの鳴瀬喜博、ドラムの樋口晶之でした。1974年にポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビューを翌1975年1月にはファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」をリリースします。高い音楽性と完成度、そしてマキの歌唱力が高い評価を得、10万枚を超えるビッグヒットとなりました。これは当時のロック音楽では異例の快挙でした。このアルバムに収録されている約12分にも及ぶ大作「私は風」は、のちにさまざまな歌手やミュージシャンにカバーされ、中でも中森明菜のものは有名です。なお、このアルバムの録音と前後してOZのメンバーが総入れ替えとなっています。ドラムは西哲也、古田宣司の1stアルバム参加を経て、内藤正美が1975年末まで在籍し、ベースは千代谷晃を経て、1stアルバムの録音の後から、後期OZの音に決定的影響を与えた川上重幸に替りました。人気・地位ともに確実なものを気付いたOZでしたが、1977年の10月18日新宿厚生年金会館でのステージをもって解散しました。

活動休止

OZの解散後、1979年に数回の渡米を経て、ドラマーで当時ロッド・スチュアート・バンドの一員でもあったカーマイン・アピスの知己を得て、同年彼のプロデュースの基ソロとして「NIGHT STLKER」を発表します。翌1980年には「カルメン・マキ&LAFF」を結成。しかし思うようなヒットに恵まれず、1981年にヘヴィメタルバンド「カルメン・マキ&5X」へと発展解消します。しかしこちらも1983年に解散。この期間には村上龍原作の映画「限りなく透明に近いブルー」の音楽にも参加しています。その後1986年にはOZの初代ベーシストであった鳴瀬喜博や松本孝弘などがいたセッションバンド「うるさくてゴメンねBAND」に参加し、ライブを中心に活動。1987年にはライブ盤「うるさくてゴメンねLIVE」を発表しました。その後、出産・育児に専念するために一時的に音楽活動を休止します。

復帰

1993年に日本国籍を取得し、音楽活動を再開します。同年、寺山修司没後十年の企画として「時には母のない子のように」の新録音盤を発表し、久保田麻琴プロデュースによる子守唄のアルバム「MOON SONGS」を発表しました。翌1994年には「MOSES」を結成し、1995年に「VOICE OF MOSES」を発表します。1996年にはOZ時代の盟友、春日博文のプロデュースで「UNISON」を発表。この時のセッション・メンバーをもとに「UNIZON UNIT」を結成しライブなどを行いました。その後、「カルメン・マキ&OZ」の再結成や、ライブ活動、新曲リリースなどを中心に活動しており、2008年には初の朗読CD「白い月」をリリースしました。中原中也、萩原朔太郎らの詩を水城雄の即興演奏にのせて読み、歌にとどまらない表現に新境地を開きました。現在も全国各地のライブハウスを中心に精力的に回っています。

ディスコグラフィー

アルバム

  • 1969年「カルメン・マキ真夜中詩集~ろうそくの消えるまで~」
  • 1970年「アダムとイヴ」
  • 1970年「思い出のサヨナラ“カルメン・マキ'70”」
  • 1971年「カルメン・マキ/ブルース・クリエイション」
  • 1975年「カルメン・マキ&OZ」
  • 1976年「閉ざされた町」
  • 1977年「カルメン・マキ&OZ3」
  • 1978年「カルメン・マキ&OZ LIVE」
  • 1979年「NIGHT STALKER」
  • 1980年「カルメン・マキ&LAFF」
  • 1982年「ギャザリング」
  • 1982年「HUMAN TARGET」
  • 1982年「LIVE X」
  • 1983年「CARMEN MAKI'S 5X」
  • 1993年「MOON SONGS」
  • 1995年「VOICE OF MOSES」
  • 1996年「UNISON」
  • 1996年「ベスト・オブ・カルメン・マキ&OZ」
  • 1998年「SPLIT」
  • 2001年「CALMEN MAKI LIVE 世紀末を歌う」
  • 2003年「CARMEN MAKI AND SALAMANDRE」
  • 2004年「ANOTHER WAY」
  • 2007年「時には母のない子のように2007」
  • 2008年「白い月」

シングル

  • 1969年「時には母のない子のように」
  • 1969年「山羊にひかれて」
  • 1969年「私が死んでも」
  • 1970年「東京はみなし児」
  • 1970年「ノイジー・ベイビー」
  • 1970年「想いでにサヨナラ」
  • 1970年「あなたが欲しい」
  • 1974年「午前1時のスケッチ」
  • 1977年「空へ」
  • 1978年「私は風」
  • 1979年「ラヴ・アゲイン」
  • 1979年「風に乗って/EASY COME,EASY GO」
  • 1979年「青白い夕焼け」
  • 1980年「恋はエクスタシー」
  • 1982年「EASY COME,EASY GO」
  • 1983年「FANTASY」
  • 1993年「時には母のない子のように・新録音」
  • 1995年「夜間飛行」
  • 1996年「星の河を渡ろう」
  • 1998年「ワイルドフラワー」

映像

  • 1994年「日本ロック映像全集 Vol.1」
  • 2003年「カルメン・マキ~スタジオライブ&インタヴュー~ROOTS MUSIC DVD COLLECTION Vol.4」

出演

映画

  • 1971年「あらかじめ失われた恋人たちよ」・・・自閉症の女役
  • 2011年「探偵はBARにいる」・・・マキ役

テレビドラマ

  • 1969年「新平四郎危機一発」第6話「まぼろしの女」
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