SHOW-YA

SHOW-YA

SHOW-YA(ショーヤ)は、日本の女性5人組ガールズロックバンドです。1980年代からのバンドブーム、特に女性だけのバンドとしては先駆け的な存在であり、それを牽引してきたバンドの一つです。ロック・フェスティバル「NAONのYAON」の企画立案者でもあります。

来歴

ボーカルの寺田とキーボードの中村の所属していたバンド「メデューサ」が前身となっていて、のちにバンド名を「SHOW-YA」に変更しました。1982年、全国規模で開催されていた音楽コンテストで最優秀グランプリに輝くものの、6人のメンバーのうち、寺田と中村を除く4人が音楽以外の道に進むために脱退してしまいます。その後、メンバー募集によって、角田、仙波、五十嵐が順番に加入しました。1985年、「素敵にダンシング(Coke Is It)」でメジャーデビューを果たします。しかし、当時は女性だけのロックバンドは珍しく、一般になじみが薄かったため、ミニスカートを履かせられたり髪を刈り上げられたりと、アイドルバンド路線で売り出されることになりました。1980年代後半、ハードロック路線に戻って自分達の音楽を追求していたものの、セールスは伸び悩んでいました。それまでに主に作詞を担当していた寺田はそれが自分のせいだと思い、7枚目のアルバム「Outerlimits」の制作の際、音楽家の安藤芳彦の作詞を依頼します。この時寺田は、自分の日記を安藤に渡し、それを基に詞を書いてほしいと頼んだのだそうです。また、このアルバムから笹路正徳がプロデューサーとして参加します。その結果、アルバムは約60万枚のセールスを記録しました。シングル「限界LOVER」や「私は嵐」のヒットも相まって、SHOW-YAのライブ本数やテレビ出演回数は激増します。さらに1987年から企画・主催を始めた女性アーティストのみを集めた野外イベント「NAONのYAON」では、ガールズバンドの認知度を上げることに貢献しました。

バンドの解散と再結成

1991年、ボーカルの寺田が突如バンドの脱退を発表します。多忙を極めたスケジュールにより引き起こされた喉を潰すなどの体調不良や、精神的ストレスが原因でした。残されたメンバーは新しいボーカルにステファニー・ボージャスを迎えて活動を続けましたが、1993年頃から活動が凍結状態になり、1997年にボーカルがYoshinoに代わったものの、1998年に解散となりました。2005年に入ると、91年に脱退した寺田がバラバラになったメンバーたちのもとを訪れて一人一人に頭を下げ、再結成を果たします。以降は数々のライブ活動、寺田恵子はNHK-FMの「私の名盤コレクション」のパーソナリティを務めるなど、精力的に活動を続けています。

メンバー

寺田恵子・・・
ボーカル、作詞、作曲担当。1963年7月27日生まれ。千葉県出身。血液型はA型。
中村美紀・・・
キーボード、コーラス、作詞、作曲担当。バンドリーダー。1961年9月27日生まれ。千葉県出身。血液型はAB型。
五十嵐sun-go美貴・・・
ギター、コーラス、作曲担当。1962年11月21日生まれ。神奈川県厚木市出身。血液型はA型。
角田mittann美喜・・・
ドラムス、コーラス、作曲担当。1963年12月7日生まれ。東京都出身。血液型はO型。
仙波さとみ・・・
ベース、コーラス、作曲担当。1963年8月28日生まれ。東京都出身。血液型はA型。

元メンバー

  • 1991年~1997年・・・ステファニー・ボージャス(ボーカル)
  • 1997年~1998年・・・Yoshino(ボーカル)

エピソード

バンド名の由来は、居酒屋チェーンの「庄や」からきています。前身の「メデューサ」時代に、ことごとく音楽コンテストに落選していた寺田と中村は「バンド名が悪い」ということで意見が一致し、その時飲んでいた庄やから名前を取る事にしました。英語にすると「SHOW-YA」で「ショーをあなたに」という意味になることからこの名前に決定しました。五十嵐の「sun-go」という愛称は、中村美紀、角田美喜、五十嵐美貴とバンド内に3人「ミキ」がおり、三番目に加入したということで元々は「3号」でした。当初は本人が気に入っていなかったため、ニックネームを募集していましたが、このニックネームが定着してしまい、現在でもsun-goと呼ばれています。また、五十嵐と寺田は、元プリンセス プリンセスの渡辺敦子、富田京子、SIMBA SALOONの力石理江とともに女性5人組バンド「全日本女子プロバンド(通称:全女バンド)」を結成していました。一方、中村と仙波も元バービーボーイズのボーカル・杏子らと女性バンド「ミレニアム・イブ」を結成し、活動していた時期がありました。1991年に寺田が脱退した後、SHOW-YAはTBS「ギミアぶれいく」の企画で北朝鮮に渡りライブを行ったことがあります。その際にはゲストボーカルとして喜屋武マリーが参加しました。

ディスコグラフィー

シングル

  • 1985年8月31日「素敵にダンシング(Coke Is It)」
  • 1986年2月1日「しどけなくエモーション」
  • 1986年8月22日「ONE WAY HEART」・・・テレビ朝日系ドラマ「ぶんぷくちゃがま」のエンディングテーマ。
  • 1987年1月22日「その後で殺したい」
  • 1987年5月25日「水の中の逃亡者」・・・テレビ朝日系ドラマ「大都会25時」の主題歌。
  • 1987年10月26日「孤独の迷宮(ラビリンス)」
  • 1988年6月25日「愛さずにいられない―Still be hangin' on―」・・・カバー曲。
  • 1989年2月1日「限界LOVER」・・・昭和シェル石油CMソング。
  • 1989年6月7日「私は嵐」・・・昭和シェル石油CMソング。
  • 1990年3月7日「叫び」
  • 1990年9月5日「ギャンブリング」
  • 1992年1月29日「天使の炎―Flame Of The Angels―」
  • 2013年7月24日「V.S.MYSELF」

アルバム

  • 1985年9月6日「MASQUERADE SHOW」
  • 1986年3月1日「QUEENDOM」
  • 1986年9月6日「WAYS」
  • 1987年2月4日「TRADE LAST」
  • 1987年11月5日「IMMIGRATION」
  • 1988年8月24日「Glamour」
  • 1989年9月6日「Outerlimits」
  • 1990年10月24日「HARD WAY」
  • 2012年3月7日「GENUINE DIAMOND」

ミニアルバム

  • 1995年5月15日「Touch The Sun」
  • 1998年2月21日「This my way」

ライブアルバム

  • 1988年5月25日「TURN OVER」
  • 1991年4月12日「HARD WAY TOUR 1991」

ベストアルバム

  • 1987年6月5日「NEW BEST NOW」
  • 1988年2月25日「NEW BEST NOW 70」
  • 1988年12月10日「WHITE」
  • 1991年6月21日「SHOW-YA GREATEST」
  • 1992年8月12日「COMPLETE BEST "BACK FIRE"」
  • 1996年11月27日「TWIN BEST」
  • 2002年6月19日「SHOW-YA GOLDEN★BEST」
  • 2005年9月30日「SHOW-YA THE BEST SOUND & VISION-20th Anniversary-」
  • 2005年10月5日「SHOW-YA THE BEST-20th Anniversary-」

DVD(VTR)

  • 1990年4月25日「叫び」・・・クリップ集
  • 2005年9月14日「DATE LINE」
  • 2005年9月14日「ROLLIN' WORLD」
  • 2005年9月14日「1990BUDOKAN-REACH FOR THE WORLD-」
  • 2005年9月14日「DISTANCE -ON THEIR WAY- 1990 IN L.A.」
  • 2005年9月14日「HARD WAY TOUR 1991」
  • 2005年12月21日「SHOW-YA大復活祭 ~20th Anniversary~」
  • 2007年1月24日「SHOW-YA LIVE 2006 別格」

SHOW-YAの魅力

私が生まれたのは1987年で、SHOW-YAの活動全盛期にはまだ自我もなく、幼稚園で何の遊びをするか、今日の晩御飯は何かくらいにしか興味がない年齢でした。ですので大人になってから彼女たちの音楽を聴いたのですが、なるほど伝説のガールズバンドと言われるのも納得だなという感想でした。プリンセス プリンセスのようなポップなロックではなく、きちんとハードロックをしていてビックリしました。また、今聞いても色あせないメロディーラインやボーカル・寺田恵子さんの歌唱力の高さにただただ驚かされました。現在も再結成して精力的に活動していますが、当時のCDと比べても全く劣らないパフォーマンスを見ることができます。50代を迎えてもなお、当時と代わらないライブを行うと言うのは凄いことだと思います。これから年を重ねるにつれて、さらに魅力が増すことでしょう。おばあちゃんになってもカッコイイSHOW-YAとして活動を続けてほしいなと思います。

等身大のガールズバンド・BLiSTARの歴史!